■レーシック情報:適性はレーシックの種類によって変わる


■レーシック情報:適性はレーシックの種類によって変わるブログ:2016-08-21


結婚して数年経って、
平穏な連日を送っている今も、
僕にはしばしば眺めている数枚の写真があります。

それは
母と幼い僕が写った数枚の記念写真。

上野の街角で、青い染め抜きの花模様の着物を着て、
微笑む母のそばでにっこりしているおかっぱ頭の僕。

どこまでも広がる黄色い菜の花畑で、
花に顔をうずめている小さな僕と、
それを見守る母の優しい笑顔。

長い一本の道を、
手をつないで歩いていく母と僕の後姿…

子供の頃の思い出の横にはいつも母がいて、
僕はこんなにも母に見守られて、
育まれてきたのだという実感が、いつも心を暖かくしてくれます。

でも子育てをしてみて
僕は初めて気がついたことがあります。

それは、
母との思い出の数々を今日の日まで残してくれたのは、
そのフレームの中にはいない親父だったということ。

不思議なくらい、今の今まで気がつかなかった…

子供が生まれて、
僕がカメラを持つようになり、
アルバムを作ってみれば…

そこには、
子供を抱く夫、
子供をお風呂に入れる夫、
子供を子供寝かしつける夫…

僕との写真なんてまるでなくて、
これじゃ将来うちのむすめは僕が育児放棄をしたと思うかなぁ…なんて
苦笑いしています。

写真という記憶の不思議。
フレームに存在しないという、存在感。

「気づくのが遅くなっちゃいましたね。お父さん」

でも間に合って、よかった。
今までずっと、ありがとう…

控えめな親父の深い真心に、
僕は心から感謝しています。

親父のおかげで、
僕も母も幸せな思い出をいつまでも
抱き続けることができるんですね。


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