■レーシック情報:あの松坂選手もレーシックを受けましたブログ:2020-12-18
四畳半程度の広さだが、
小松菜やほうれん草がとれ、トマトやナスを育て、
シソやミツバが食べられる我が家の家庭菜園は魅力に溢れている。
さわやかな日差しを浴びながら、
嫁と一緒に虫や草をとり、
若苗の間引きなどをしていると…
「雑草を恐れるな」
突然、二階のベランダから母親の声がした。
御歳九十三、認知症が少し出ているが、
しゃきっとしたもの言いに、
俺は「分かった」と見上げながら答えた。
「まだ本当の百姓ではない」
俺の手つきや野菜の育ち具合いを見てのさらなる声。
「野菜は同じところに作るな」と
忠告も飛んでくる。
俺は「はいはい」と返事をしながら、
久々に力が入っている母親を微笑ましく思った。
五年前、母親の調子が少し崩れかかったときには、
猫を飼って凌いだ。
母親が生きていく上で必要なのは、
日々の具体的な世話と思いやる心を
取り戻してもらうことであったから…
「畑をやればまだ長生きしてもらえるかも」と嫁が言うので、
俺が「降りてきて畑をやらないか」と大きな声で誘ったら、
母親は「それは無理」と小さく言って顔を引っ込めてしまった。
信州の農家出身の母親。
その母親の口癖が、
「あの山の向こうに行けば田舎がある」だった。
山とは、ベランダから見える小高い公園の雑木林だった。
父が亡くなって二十五年。
この頃、母親の気持ちはさかんに実家へと向いている。
ふるさとを「魂の休まるところ」と理解すると、
母親の心情がよく理解できた。
最近
「体調、体力を見て実家へ母親を連れて行こう」が
俺と嫁の合言葉になっている。